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2019.9.20

守り続けられてきた海岸 ちちぶの会の想いとともに。

   

守り続けられてきた海岸 ちちぶの会の想いとともに。
ちちぶの会の皆様 (左より)塩田健治、鴨田隆司、菅磯夫

美しい父母ヶ浜を守り、受け継ぎ、
お金よりも価値があるものがあることを全国に発信してほしい。

流木や海洋プラスチックゴミなど様々なものが浜に流れ着く。

海洋プラスチックゴミが世界的な環境問題として話題になり、カラフルなゴミに無残に彩られた海岸のニュースや、誤飲してしまった海洋生物の画像を目にする機会も多くなっている。そんな中、「瀬戸内海のウユニ塩湖」と呼ばれ、インスタ映えする絶景ポイントとして知られる父母ヶ浜のビーチは、なぜその美しさを保ってこれたのか? 漂流ゴミがないわけではない。海岸を清掃し、守り続けて来てくれた先人の存在があってのことだ。

「ちちぶの会」は今から25年ほど前の1994年2月8日に、地元の有志7人が集い、海岸の清掃を開始。その中心的人物は、元漁師の鴨田さん、町の職員だった塩田さん、地元で建築業を営む菅さんの、1940年生まれの同級生3人組だ。当時は地方活性化策として製造工場の誘致合戦が行われていた。ここ父母ヶ浜も例外ではなかった。

「埋め立ての話が出たとき、『この美しい海と海岸を守りたい』『何か事を起こさねば』と思って始めたんが海岸の掃除なんや。50代前半でまだ若かったけぇ、血の気もちょっと多かったりして。相手が行政だろうと誰だろうと、われわれの思いはこうなのだと強い意思を持って始めたんや」。

実は菅さんは、町長のもとに1人で乗り込み、夜中の1時過ぎまで説得したこともあるという。「その時の町長は『オヤジの代からの夢だった』というとったが、一度埋め立ててしまったら、もう二度と元の姿には戻れんから。魚も取れなくなる。『やるならわしらを埋めてからやれ』と言い返したよ」。業者も決まり利害関係者が集まってくる中、「表立った反対運動ではなく、『ささやなか抵抗』」として掃除を開始した。

当時の父母ヶ浜は今の姿とは全く異なり、「一面、ゴミの山やったけぇ。なんぼやっても片付かん。ゴミが寄ってきた。1人協力してくれる人が増えただけでもえらい嬉しかったなぁ。それが10人、20人と増え、10年、20年かかって、ようやく今のきれいな姿になった。継続は力なり。それに尽きる」と振り返る。

埋め立ての計画書も完成図もできていた。だから「本当に計画が止まるとは思っていなかった。けど、きれいな海をみんなに見てもろたら、地域の人も理解してくれるやろという一心だった。そしたら、バブル崩壊もあって、計画がとん挫して。やっぱり掃除したことで結果が残ったんやと思うとんや」。長崎の諫早も千葉の三番瀬も名古屋の藤前干潟なども埋め立てられる中で、「奇跡が起きた」。

「埋め立てられたら雇用を生み、お金を生むといわれたけど、こんなきれいな景色は何千億円、何兆円あったって作れないもの。お金を超える価値がある。こういった問題は未来にも必ず起きるもの。代々、ここの良さを引き継ぐ人、この戦いの歴史や想いを受け継ぐ人を育成していかんとな。そして、お金よりも価値があるものがあることをここから全国に発信してほしい」。

その活動は今日まで、小学生から90歳近くまでの多くの方の方が参加し欠かすことなく続けられている。

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